ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

修羅の道・北海 ──漆黒烏の章──

 

 私は札幌に降り立った。

 札幌に着いたらまず、頭上に注意しなければならない。それも、とりわけ木の上だ。宿敵はそこにひそんでいる。「まさか自分は大丈夫だろう」などというご都合主義的確率論にすがることはできない。油断すれば襲われる。それが修羅の道・北海のオキテだ。

 注意しなければならないが、決して頭上を見てはいけない。ここが繊細で難しい。不可避にも思える危険が、この修羅の道にはひそんでいるのだ。

 もう少し具体的に話そう。宿敵の正体は「カラス」だ。巣のヒナを守るヤツらは、非常に過敏になっている。巣に近づくだけで危険だが、目があってしまうとさらに危険なのだ。すぐにヤツらに「敵」として認識されてしまう。

 頭上への注意を怠っていると襲われるが、逆に目を向けても襲われる。修羅の道ではこれを「漆黒烏のジレンマ」と呼んでいる。

 初めて行く目的の建物を探しながらうろうろキョロキョロしていた私を、カラスは「巣を探しヒナを狙う敵」と認識したらしかった。途端にやや長めの鳴き声が頭上に響く。なんかうるせえな。その意味を理解することなく依然歩き回る私に、彼らはさらに敵をむき出しにする。

 刹那、視界からカラスのすがたが消える。おや、どこへいった? などと考えている暇もなく、カラスは私の頭に向かって鋭い爪を振り下ろしてきた。

「うあぁ、もうわかったからぁ〜。おれ何もしないからぁ〜!」

 そう言って私はカラスを威嚇しつつ軽やかに走り抜け、彼らと戦闘の間合いをとった。

 爪は私の髪を掠めただけだった。激しい羽音が耳に残っている。いや、残っているのではない。彼らはいまだ私の頭上を飛び回り威嚇の声を上げている。

 中腰で、敵の攻撃をかわすことしかできない。もはやこれまで。そう思ったときだった。訪問先のホストが私の名を叫び、ビニール傘を投げよこしてくれた。

「させ! それをさすんだ! それが最大の防御となる!」

 私は彼の声に従い、導かれるまま目的の建物へと避難したのだった。

 

 次の日も目的地は同じ建物だった。

 建物が近づいてくるにつれ、私の心臓は激しいビートを刻み始める。武者震いがし、全身がじっとりと汗でにじむ。

 威嚇しなければよいのだ。淡々と、目を合わせず行けばいい。そうすれば戦闘は避けられるはず。しかし、その考えは白い恋人なみに甘かった。

 突如として鋭い羽音が聞こえたかと思うと、ヤツらの鋭い爪が、私の頭部を的確に襲った。

「いてぇ。いてえよぉ〜!」

 無念の声が朝の道に響く。歩行者は他にもいるのに、何故に私だけ? ヤツらを刺激してしまう顔なのか? 動きなのか? 体臭なのか?

 だが、悩んでいても仕方がない。というか遅刻する。

 昨日、私は貴様らに勝つ知恵を得た。傘だ。傘さえあれば貴様らは攻撃できまい。私は鞄の中に折りたたみ傘を探した。その間も私の聴覚は研ぎ澄まされ、羽音はおろか木の葉の揺れる音まで聞き逃すことはない。

 カラスは何度も飛び込んできた。タイミングをみて身をかがめ、寸前のところで敵の攻撃をかわす。ようやく傘を見つけ出し、力強くそれを開いた。傘の骨が一本、折れていた。この前の嵐のときに折れたのだ。だが、折れていたって構わない。使い古した武器のほうが手練れっぽくて彼らもたじろぐってもんだ。

「うわぁ〜。もう許してぇ〜!」

 私は名乗りをあげて門の中へと突っ込んだ。目的の建物はまだ遠い。というかこんなに遠かったか? 昨日はもっと近かったぞ。まさか移設した? 一夜城なの?

 入り口がみえる。そこには昨日と同じようにホストが立っていた。笑っていた。腕を組んで笑っていた。なに笑ってんだ! こちとら修羅場じゃい!

 後方から威嚇の声が絶え間なく浴びせられる。飛び込んでは来られないので、地を這い声で攻撃してくる。カラスは二羽。奴らは必ずつがいで攻撃してくるらしいことを後で知った。そして、一度敵とみなした人間の顔を覚えていることも。

 壊れた傘では雨は防げないが、カラスの攻撃は防ぐことができた。なんだ、だったらカラスは雨より弱いではないか! はっはっは!

 傘を開いて一心不乱に全力疾走したことのある猛者はご存知だろうが、そんなことをしたら傘は壊れる。ただでさえ折れていた骨は関節の部分が完全に外れ、いよいよ使い物にならなくなった。

 だが、気を落とすことはない! 私は勝利したのだ! この漆黒トリ野郎!

 帰路につき、風で木が揺れる音、あるいは家々のベランダで洗濯物を取り込む音がしただけで、私は先の戦闘を思い出し、武者震いが止まらないのであった。これを修羅の道では「漆黒烏のトラウマ」と呼ぶ。

 これで終わりではない。修羅の道はまだ続く。