ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

「そりゃそうじゃ」がもたらす思考の欠落について

 

 皆さんはオーキド博士をご存知だろうか。

 オーキド博士とは初代ポケットモンスターに登場し、主人公の暮らすまちで日々ポケモンの研究に励んでいる人物だ。主人公に最初のポケモンをくれるのが、何を隠そうこの男である。一見、ただのポケモン博士のように思われる彼だが、実は彼はすごいのだ! ということを伝えるのが、この記事の目的である。

 さて、このDr. オーキドを知っている方は、彼が白衣を身にまとい、人差し指を立て、カメラ目線で何か一言、我々に訴えかけている様を思い浮かべてほしい。

 さあ、彼は何と言っただろうか。脳内で彼が「そりゃそうじゃ」と言った人は正直に挙手してほしい。そりゃそうじゃ。なんと美しい、神々しい響きだろう。物事を俯瞰し、また全てを見透かしていないとこの言葉は出ない。全知全能、全てを超越したものにしか許されない発言だ。

 オーキド博士といえばそりゃそうじゃ、そりゃそうじゃといえばオーキド博士だ。この常識を流布させたのは、TVアニメ『ポケットモンスター』のオープニング曲に他ならない。ポケモンマスターを夢見る少年サトシが「あの子のスカートの中」に入るアレである。

 この「そりゃそうじゃ」という発言は、サトシがスカートの中から出て、マサラタウンからも出て、鍛えたワザで勝ちまくり、仲間を増やして次のまちに向かう途中に出てくる。

 

”いつもいつでもうまくゆくなんて 保証はどこにもないけど(そりゃそうじゃ)”

 

 サトシは次のまちに向かう道すがら、悩みに悩んでいた。うまくいくかどうかなんて、わかんないよなあ。大きな夢ばかり見ていないで、ちゃんと大学を出て、公務員にでもなって、安定した収入を確保した方がいいのかあ。

 でも、待てよ。もしオーキド博士が悩んでいる僕をみたら、なんて声をかけてくれるだろう。サトシは優しいオーキド博士の姿を思い浮かべた──。

 

 

 

(そりゃそうじゃ)

 

 

 

 そう、そりゃそうなのだ。博士は人生で起こりうる全てのことを経験し、酸いも甘いも辛いも苦いも知っている。若い頃は悩むよなあ。わかるよ、わかるわかる。でも世間はそんなに甘くない。思い通りにはならないのは仕方ないのさ。そういう超然とした態度で、彼は言ったのだ。

 いや、彼は言ってすらいない。サトシは博士に相談する前に、「博士だったら」と想像したに過ぎない。博士だったら「そりゃそうじゃ」って言うだろうなあ。そりゃそうじゃ、か。じゃあしょうがねえよな、と自己解決しただけなのだ。

 ここまできてしまうと、いよいよ人知を超えている。もはや考える必要がない。悩んだってしょうがねえよな。そう思わせるおそろしいパワーを、彼はもっているのだ。

 

”たとえ火の中 水の中 草の中 森の中(そりゃそうじゃ)”

 

”なかなか なかなか なかなか なかなか 大変だけど(そりゃそうじゃ)”

 

”オレはこいつと 旅に出る(そりゃそうじゃ)”

 

”ああ あこがれの ポケモンマスターに なりたいな(そりゃそうじゃ)”

 

 もはや「Dr. オーキド」あらため「DJ オーキド」なのである。どこからでも食い気味に出てきてくれれば良い。考えたって仕方ないのだ。だって、そりゃそうなんだから。

 オーキド博士はすごい。彼には人の思考を欠落させる力がある。ああ、彼はどうしてこんなにすごいのだろう。一度でいいから、彼に直接尋ねてみたい。

オーキド博士、どうしてあなたはそんなにすごいのですか」

 だが、訊いたところで彼の答えはもう決まり切っている。すなわち「そりゃそうじゃ」と。