ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

透明な空

 

*当記事はこちらの話( おだやかな青 - ライ麦畑で叫ばせて)に目を通してから読んでいただけるとわかりやすいと思います。

 

「真っ直ぐな目で笑った 最初の出会いから君は変わらないね

 透明な空によく似合う肌が まるで新しい明日へと誘うよう

GARNET CROW 『WEEKEND』)」

 

 勤め先を出るとおだやかな風が肌をなでた。窓もなく密閉された建物の中よりも、外はずっと涼しいように感じられた。空はネイビーブルーに近づいていて、対照的に雲は鮮やかな橙であった。

 朝は決まって獣のような目つきでもって例の獣道を急ぐのに対し、帰り道はゆっくりと横断歩道を渡るか、はたまた急ぐ理由もないのに朝と同じ道をゆくか、五分五分といったところだろうか。車通りが少ないのもあって、その日は獣道を行くことにした。

 細道に着いて目に入った景色に仰天した。そこにのさばり綿を豊富に蓄えていたチガヤがきれいさっぱり消えてなくなっていたのだ。朝までは確かにあったはずだった。

「駐車場を抜けて病院を通るのが一番の近道だ」と先輩や上司は口々にいう。確かに、この道から石造りの低い塀を越えて、病院の構内を突っ切った方が駅に着くのは幾許か早い。それを知りながら、実際に構内をゆくのはなんだが気が進まなくて、ひとりの帰路ではそこを通らずにいた。

 どういう風の吹き回しか、その日私はその近道を行くことにしたのだった。他人事のようなこの言い回しがまさに適当であって、主観的には何故その日に限ってそうしたのかほとんど不明であった。「通り慣れた道の変化が受け入れ難かったのかもしれない」というこじつけに近いひらめきが、ずっと後になってあるだけだった。

 

 病院脇の駐車場はひっそりとしていたが、駅に面した通りに近づくと一変して人の姿が多くみられた。初老の女性に付き添われた杖突きの老婆、孫らしい少女に押される車椅子の老人、白衣の若い女、そしてスーツ姿のくたびれた中年男性たち。

 活気があるとは言い難い雑踏の端に、あるひとりの女が立っていた。その場にあってひときわ異彩を放つ女に、私の視線はおのずと奪われた。

 肌は抜けるように白く透き通っている。そしてその肌色がぼうっと広がるように、髪もまた白に極めて近い金髪をしていた。

 その気怠そうな立ち姿や無表情の抗いから感じとれる攻撃性に対して、彼女の肌には力強さやみずみずしさがなかった。それはおそろしく冷徹で凛然とした、病的な美しさだった。その脆さと危なっかしさは女を実際よりも幼くみせているに違いなかった。

 彼女は病院のすぐ外で、壁に寄りかかりながら煙草をくゆらせていた。禁忌を進んで破るように、煙は挑発的に放たれて、そしてその直後にはか弱くおびえるようにツートーンの空に揺れた。

 気づけば空は病院の硝子張りにも映って広がっていた。硝子のなかの空のほうが実際よりもずっと澄んでいて、あらゆる色は極限まで削ぎ落とされていた。それでも、夕空の青と雲の茜は、どうしてかはっきりとわかるのだった。

 私は心底ぞっとしていた。なぜといって、十代の頃からずっと探し続けていたものを、私はその硝子窓に見出していたからだった。

 そこにあるのはまさしく透明な空だった。色の微妙な濃淡や明暗を超越して、それは硝子という見かけの枠をいとも簡単に破りはみだし広がっていた。

 私の歩みはついに止まり、私は病院の門の前に口を開けて突っ立っていた。

 もはや制約なく広がる空に、その透明こそに私は揺るぎない確かな色をみていた。

 女の艶やかな黒髪を、少し焼けた健康的な肌を、はつらつとした真っ直ぐな目を、笑いに弾けるチガヤの綿毛を、強い日差しを、セピア色を、そして明日にはすっかり塗り替えられる彼女のまわりのすべてを。

 

 電車の近づく音がする。女がすらっとした腕を折り曲げて何本目かの煙草に火をつけるのを横目に、私は改札へと急いだ。

 透明の良く似合うその白肌はきっと明日も眩しいはずだ。変化といえば白と緑に侵食された細道のアスファルトがすっかり黒い尺熱に変わった程度なのだ。明日はこれまでとほとんど何も変わらないはずだった。そしてそれ以前に、多少の変化など忘れてしまえる都合の良さを、私は持ち合わせているのだった。

 その忘却の才能をもってなお、どうか何ものも変わらないでいてくれと願う強欲を、恥ずべきものか誇るべきものか、私には判断しかねた。

 あれから私は透明な空を見ていない。

 何かがなければ見つけられないのかもしれないし、見つける気がないのかもしれない。手の届きそうな錯覚さえ感じていたあの空は、今日も遥か遠くでスカイブルーや白や橙、ネイビーブルーに目まぐるしく塗りかえられるに違いない。