ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

「伝える」の上限

 

 もうすぐ私は、長い間お世話になった多くの人たちに別れを告げることになる。新天地へと向かうにあたり、書類や荷物の整理をしながらこれまでを振り返る今日この頃である。

 旅立ちに際しては、いくつかの場所でどうしても挨拶をしなければならない。どうせなら聞き手の心に残るような少し気の利いたことを言いたいと、思い出の品々をただただ凝視するのは、強欲と陶酔が過ぎるだろうか。

 

 これまで私の心を打った別れ際の挨拶というものを思い出してみる。小学校、中学校、高校、──。別れといってわかり易いのはやはり離任や卒業か。

 ──ひとつ、私の好きな言葉を送ります。それは不言実行という言葉です。最近、有言実行というのが流行っていますが、私は嫌いです。元来そんな言葉はありませんでした。文句を言わずに黙々と目標に向かってやるべきことを行う。そんな大人になってください。

 ──みなさんだけということではありません。最近の生徒をみて思うのは、我慢が足らないということです。年寄りの文句と思って聞いてください。欲しいものならなんでも手に入る時代です。意識しないと「我慢」なんていらない時代になってきました。でも、忍耐力があって良かった、そう思う日が必ず来ます。泣き寝入りしろ、ということではありません。投げ出さず、諦めず、これまでよりももう一寸、堪えてみてください。

 ──私は英語や数学を教えることはできませんし、えらそうに叱咤激励することもできません。ですから、黒板はいつも他のどの教室よりもきれいにしようとおもって磨いたつもりです。それが私ができることだと思ったからです。学生時代、駅伝の大事な大会で、第三走者の私が待機場所を間違えたがために、たすきがつながらずにチームが失格になったことがあります。チームメイトは「お前がいたからここまでこれた」と言ってくれましたが、私は今でも後悔しています。皆さんも、これからいくつもの後悔があると思います。それを否応なしに背負うことになります。そして、それを受け入れたうえで、そのとき自分のできることをやってください。だれかがみているから、というのではなく、です。

 

 全て納得のいく話という訳でもないし、文句のつけようのない素晴らしい挨拶だったということでもない。でも、今になっても鮮明に思い出されるということは、記憶に残すという効果は絶大だった。

 これらの言葉、実は特別にお世話になった先生方のものでは全くない。あまり会話もしなかったような先生方の挨拶だった。そして、なぜか全員体育教師。そういえば精神論的なものばかりだ。

 その先生がもつ部活動や委員会などに所属しない限り、体育教師との会話の機会はほとんどなかった。私の通っていた学校独特のスタイルかもしれないが、体育の授業なんて「準備体操ー。終わりー。はい散れー」くらいのものだったから。

 

 では何故、関係の深くない体育教師たちの言葉が印象深いのか。それは、肩透かしのようであるが、関係が深くなかったからだろう。他に印象がなかったのだ。毎日いろいろ言ってくる担任や部活顧問の最後の言葉は、それが多少良い話でも、もっと印象深い他のことに掻き消されてしまうのだ。

 ひとりの人間が他者に伝えられることには上限みたいなものがあって、おそらくその容量は発信者と受信者、そして両者の関係によって変わるのだと思うが、とにかくそれを越えて相手に思いを刻むことは恐らくできない。

 聞き手の心に残る別れのスピーチをしたい。ではそう考えたとき、大事なのはこれまでの自分の他者に対する印象の強さなのでは? ならばチャンスではないか! 長年居るわりに、私ほど影が薄く、毒にも薬にもならない者はそうはいないのだから。