ライ麦畑で叫ばせて

日常・回想・妄想・数学理科・社会・思考の道草 を軸に書きます。

気が付けば全力で朝

 

「物語」は美しく整然としていなければならない。

 その一方で、望むと望まざるとに関わらず、その創出の場、あるいは起源たる「現実」は一般に至極混沌としている。

七番目の曲が終わるとき、私は目的の建物の前にいた。

七番目の曲が終わるとき - ライ麦畑で叫ばせて

  これは前回の記事の終盤の一文である。何と自然的かつ第三者的な言い草であろうか。筆者の並々ならぬ苦労を此奴はなんにもわかっちゃいない。

 無論、此奴とは先週の筆者であり、苦労者とはさらに少し前の筆者である。この記事は、先週の筆者とさらに少し前の筆者に対する現在の筆者のお説教である。殺気と混乱に満ちたあの朝をポカンと忘れて、綺麗にまとめてしまって! まあ、あきれた!

 

 あの日の現実は自宅玄関から始まる。無作為に再生される音楽と折々の情景、できごとを関連付けたら面白い文章が書けるんじゃないか? そんなほんの出来心だったのだ。あいちゅーんずをランダム再生設定にして、イヤフォンをつけて意気揚々と歩き出した。

 初めに流れた曲は『DAOKO ─ BANG!』であった。

「曲を忘れちゃお話にならん、メモを取らねば」

 筆者はすまーとふぉんを取り出して、おぼつかない手つきでメモをした。

「ぱんぱん、だお」

 メモとは本人が理解できればよいものである。

「プラスチックか偽物の価値か」

 そうこうしているうちにこの歌詞が流れる。ほう、まがい物的な何かを探せば面白いかな? 毎日のように歩く道でも、目を凝らしてみると普段気付かないことが多々あるものだ。

 二曲目の『Diana Krall ─ Stop This World』が流れているとき、筆者は既に殺気立っていた。どんな些細な「気づき」も逃しはしない。お前たち、骨も残らないと思え!

 地下へ向かう階段を駆け下りる。はやく、人か、物を見つけないと「物語」が生まれない! 「とびうおの、ちゃっともんち(『チャットモンチー ─ とび魚のバタフライ』)」とメモを打ちつつも殺し屋の目つきは忘れない。皆はすまーとふぉんに夢中で筆者のムキダシの殺気なんてお構いなしであるが。

 図々しく地下鉄に乗り込むサラリーマンに対するホンモノの殺意はぐっと堪え、乗り換えを急ぐ。急いでも乗り込む電車は変わらないことを知りつつ、それでも急ぐ。何故なら、通勤が七曲に収まりそうにそうにないのだ。一曲の平均の長さが五分としても、四十数分かかる道中を音楽で満たすのは不可能だ。やる前からわかるようなものだろうに! まあ、あきれた!

 そんなこんなで『NUMBER GIRL ─ MANGA SICK』が流れる間は時間配分をどうするかに思考や視界その他諸々が完全に奪われ、ナイスな出来事は見つけられなかった。

「とりわけエピソードが無い曲が混じった方が、真実味が増すってものさ!」

 

「電車内では曲を止めて読書をする」という強攻策を敢行し、『筒井康隆富豪刑事』に読み耽って約十分、地下鉄を降り、再びあいちゅーんずのランダム再生を開始した。

 いつも通り、もしくはいつもよりも少々速めに階段を駆け上がる。『YUI ─ LIFE』が「夢は叶いましたか?」と急ぎ足の全人類に語りかけるのを聞いたが、それどころではない。今なお「七曲に収まるか問題」は深刻なのだ。いやんなっちゃう!

 地上に着いてびっくり仰天、雪がうっすら積もっていた。雪国育ちの筆者からしたらこんなもの珍しくもなんともないが、今年初の積雪であるし、この試みに丁度よく素晴らしいイベントではないか。うっしっし。『日食なつこ ─ 水流のロック』の軽快な旋律には相応しくない不気味な笑みを浮かべて先を急いだ。

 七曲目の『GARNET CROW ─ Mysterious Eyes』は筆者が中学時代に最も敬愛した曲の一つであった。これでこの波乱万丈の四十数分を終えられるのも何かの運命なのでは? 運命と書いて「さだめ」と読むのは夜露死苦を「よろしく」と読むのと一緒だ、と聞いたことがあるけれど、それはちょっと違うのでは? ブツブツ。そうして研ぎ澄まされたというよりはむしろオロシ金で擦られきったようなズタボロの精神を引っ下げて到着した目的地は、まだ全力で朝だった。なんてこったい! センセー、もうおウチに帰ってもいいですか?

 結局キレイ目に「物語」にしてしまって! まあ、あきれた!