いつだったか、東京を訪れた際に抹茶ジェラートが有名なお茶屋さんに行ったことがあった。
そこではジェラートの抹茶の濃さを好きに選べて、一番濃いのを選ぶと、それはなんと世界一濃いらしいのだ。
同行者からこの店の話を聞いた瞬間、これはもうこの店に行って、一番濃いのを食わねばならぬと思った。何と言ったって世界一なのだから。男たるもの頂点に立たねばならぬ。
最寄り駅から大股で店に向かい、勇ましく暖簾をくぐり、抹茶好きの女子たちの後ろに堂々と並ぶ。
レジで会計を済ませてジェラートを受け取る。私が一つと、同行者は二つ。
同行者は抹茶が好きらしく、世界一の抹茶ジェラートを一つと、まあ通常、という感じの濃さのジェラートを頼んでいた。
濃い、もう茶葉食ってるみたい! 同行者も前後の老若男女も皆、手には抹茶よりも抹茶らしい深緑のジェラートをもっている。
さて、世界一を夢見た私の手元には、落ち着いた雰囲気漂うベージュ色のジェラートがひんやりなっていた。なんと優しい色だろう。文庫本の一ページに差すひだまりのようだ。
言うまでもなく、この色は世界一のジェラートのものではない。それどころか、抹茶のそれですらない。
メニューをみる直前まで、私は確かに世界一を夢見ていた。
私に何があったのか? メニューを前にして、私の視線はある四文字に釘付けになった。
ほうじ茶──、ほうじ茶──!
私は目先の欲望に負けた。完全敗北した。
抹茶よりほうじ茶が好き、ただそれだけのことだった。
抹茶が最も有名なこの店で、ほうじ茶を頼む俺、面白くて、かっこよくない? そんな迷走中の学生のような悪ノリでは決してない。
好きなものを頼む、それでいいのだ。同行者、そして周りの客の視線など一切気にしない。
前言撤回、完全敗北などではない! これは完全勝利だ!
ほうじ茶ジェラートは期待通り、非常に美味だった。
時々家族で立ち寄った、色んな珍しい味のあるソフトクリーム屋で、いつもバニラしか頼まない父親を思った。逞しさと物悲しさの入り混じった父の後ろ姿は、まさに勝者の風格だったのだと、今になって分かった。
私も大人になったのだ。大人になって、我が強くなったのだ。大人になって、空気など読まなくなったのだ。大人になって、ガキになったのだ。
折角なので世界一の抹茶も一口、などという恥ずかしいことはせず、私は天下を取った将軍よろしくふんぞり返ってその店を後にした。