*再び旅行記はひとやすみ
高校時代,私はバドミントン部に所属していた。
顧問であった男性数学教師はバドミントン未経験者で,練習にもほとんど来ず,公式戦のオーダーなんかも「キャプテンに任せるわ」といったふうで,顧問のわりにあまり関わりはなかった。
ある夏の日の練習中,そんな顧問が突然バドミントンラケット片手に体育館に現れた。
どうしたのかと思ってみていると「私もバドミントンを練習しようと思って」と部員の一人を相手に基礎打ち(野球でいうキャッチボール的なもの。基礎にして重要)を始めた。
まあ,すぐやめて帰るだろうと思っていたが,なかなか帰らない。こちらは次の練習に移行したいのにコートを占領しているし,正直ちょっと邪魔だった。
なんやかんやでその日の練習を顧問は一緒にこなし,我々の体育館割り当て時間は終了間近,交代で練習に入るバレー部がやってきた。
何人かが向こう半面にバレーのコートを作り終えると,自主的にサーブ練習を始めたようだった。
それをみた顧問はポイっとラケットを置き,颯爽とバレー部の方に走っていく。
何をするのかと思えば,バレー部員と一緒にサーブを打ち始めたのだ。
我々バドミントン部員は皆,ん???という感じだったが,まあいいや,さっさと練習を締めようと円陣を組んでお疲れ様でしたの掛け声。
片付けをしつつ顧問の様子をみていると,なかなかどうしてサーブがうまい。ジャンプも高いし,球は速いし,バレー部員にも,おー!なんて言われている。
あちらの練習が始まるらしく,顧問は少しして戻ってきた。
バレー上手なんですね。部員の誰かが声をかける。
いやあ,昔取った何とかってやつだよ。汗を拭きながら,今までで一番爽やかに顧問は答えた。
杵柄ですよね! 間髪いれずに私はこう返した。クイズ番組で早押しでもするかのように,ほとんど反射的にそう答えていた。
あ,ああ。顧問は笑みを浮かべながら頷いてくれた。
顧問がこのことわざを忘れていた訳ではないことはわかっていた。咄嗟に指摘してしまったが,”何とか”のままでよかったのでは?と少し反省さえした。
ただ,なぜ”昔取った杵柄”とはっきり言わないものなのだろう?そんな漠然とした疑問がそれ以降しばらくあった。
月日は流れ,つい先日。
後輩と趣味の話だったか仕事の話だったか,とにかく「一般に人が興味をもたないようなことをよくやるな」みたいな会話になった。
ま,蓼食う虫もどうの,っていうからなあ。何気なく私はそういった。
好き好きですよ,好き好き! 後輩は食い気味に私にそういった。過去の私のように。いや,それに拍車を掛けた素早さと力強さで。
ん,うん。私は曖昧な返事しかできなかった。知ってるわ!と突っ込むのも違うし,かといって何故”蓼食う虫も好き好き”と最後まで言わなかったのか説明するのも違う気がした。厳密には,説明しろと言われても出来ないであろうし。
はっきりと言わないことが美しい。日本語にはそんな精神がある気がする。
大学で英語の講義を受けた教員の話を思い出す。
彼女がアメリカに留学していたとき,大学のIDか何かが期限切れで更新をしなければならないことがあったらしい。
事務に行って新たなIDを貰えばよいのだが,その担当のオバサンは見るからに高圧的なオバサンだったらしい。友人は,言うことしっかり準備して行きなよ!と留学生である彼女にアドバイスをくれたそうだ。
(IDの期限が切れてしまうんです,IDの期限が切れてしまうんです,──)
彼女は窓口に向かいながら何度もその英文を練習し,ついにオバサンにそう告げる。
ところが,オバサンの返事はたった一言。
"So, what?(だから何?)"
これで彼女は頭が真っ白。
彼女はどう言うべきだったか。
それは,「新しいIDをください」だろう。欲しい理由やこちらの都合などオバサンにとってはどうでもよいのだ。ハッキリと,何をして欲しいのか,を言わねばならない。
日本だったら「期限が切れてしまうんですが──」と曖昧に言えば十分通じて,新たなIDをくれるだろう。むしろそのほうが謙虚で奥ゆかしい感じさえする。
ハッキリ言わない美しさは敬語にも表れる。
以前テレビで「首相との食事会で,首相に醤油を取ってほしいとお願いするとき」の適切な敬語についてやっていた。
そんなシチュエーションなど殆どの人は経験することが無いだろうが,これはつまり,最上級の目上の人にはどうお願いすれば良いか?ということだ。
その最も適当な答えは,「お醤油──」だった。
桁違いに目上の人には,完成されたお願いをすることさえ許されないのだ。醤油を意識してもらって,こちらがソレを必要としていることを相手に気づいていただくほかないということらしい。
ハッキリ言わないことが日本人の,日本語の弱点で,国際的に不利となるからダメだ。というような話もあるが,それは場面や状況によるものであって,ハッキリ言わない美しさというものが日本語には確かにあるように思う。