ライ麦畑で叫ばせて

日常・回想・妄想・数学理科・社会・思考の道草 を軸に書きます。特に「妄想」は別のところでしっかりカタチにするのが目標です。

ここにある

 

最近,お勉強が楽しい。

必要に迫られて,今まで真面目に学んでこなかった生物やら経済やら歴史やら,諸々の科目と向き合う日々なのだが,これが思いのほか楽しい。これまでずっと1つのことに凝り固まって視野が狭くなっていたのだろう。人間の飽くなき知的探求心よ。

 

さて,実は先日,嬉しいことがあった。

昨年度の活動をまとめる書類を作成していたときだ。成果発表をしたいくつかの集会の詳細を調べなければならず,集会名を機械的に検索していた。すると,昨秋に行われた集会のホームページの下に,とあるブログが出てきた。「あの集会について書いた人がいるのかな」と興味をそそられ,何気なくページを開いてみた。

 

記事のタイトルはそのまま集会名。書いているのはその集会の場にいた方らしい(残念ながら私はその方を知らなかった)。内容はもちろん,その集会のことだ。

開催日(昨年11月某日)・場所(京都某所)などの情報から,企画概要,現場の雰囲気と話は進み,その後にはいよいよ発表に対する具体的な記述があった。

参加者は約40人,発表者は20人ほどの2日間にわたる集会だったのだが,その方は1日目,2日目それぞれ1つずつ企画をピックアップして記事を書いていたようだ。

そして,驚くべきことに,2日目の企画として取り上げられていたのが,私の発表だったのだ。

 

記事の内容をまとめさせていただくと,”○○さん(私の名前)という方のお話は,数式的な話がよくわからなくて途中からついていけなくなったが,具体的な話は面白かった。新たな気づきもあり,もっと詳しく話をききたかった” である。

発表が分かりづらかったのは大変申し訳ない。でも,そんなことより,名前も顔も初見であろう私のような者の発表について書いてくださったことが嬉しかった。しかも,私にコメントを見せるためではなく,自己完結的に,だ。

 

お勉強の途中に目にした「欲求5段階説」をふと思い出す。

アメリカの心理学者マズローは,「人間の欲求は『生理的欲求』,『安全欲求』,『社会的欲求』,『承認欲求』,『自己実現欲求』の5段階からなり,低階層のものが満たされるとより高次の欲求を欲する」と提唱した。

では,先の喜びはどの欲求が満たされたことによるものだろうか。

まず考えたのは承認欲求だ。しかし,「あの発表が認められたから嬉しかった」というのではない気がする。もっと根本的なものだ。

欲求の5段階にも下段3つと上段2つの間には少々隔たりがあり,下段3つは低次欲求と言われているらしい。そう,もっと低次。

記事を読んで,この記事を書いた方は確かに私ないし私の発表を認識してくださっている,と思えた。

自分の存在を社会に認識されたこと,自分が集団に属していると確認できたことが嬉しかったのだ。

これはおそらく,社会的欲求なのだろう。

 

欲求はこの後,高次のものになるだろうか。

なるのが良いのか,悪いのか。どうなのだろう。

さ,もっと勉強しよ。勉強すれば答えが出るかもしらん。

あれ,この「知りたい」欲求は,高次のものなのかな。

さ,勉強しよ。