ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

大人への道を歩いているか

 

先月のうちに書きたいと思っていた諸々のことが,新年度の開始とともに何処かにぶっ飛んでしまった。人は忘れるものだ。

私もいよいよ延ばしに延ばした人生の決断を迫られつつあり,稚拙な文章をこねくり回す時間は減る一方である。それでも折角始めたことであるから,ずっと更新しないのも寂しいと思い,ここに短文をしたためることにする。

 

私は,ビールが好きだ。あらゆるアルコール飲料の中で最も好きだ。それは,おそらくビール党である父の影響によるところが大きい。

私は,「観る」旅が好きだ。「食べる」も「遊ぶ」ももちろん好きだが,景色や歴史,とりわけ仏像を鑑賞するのが好きだ。先日の京都旅行は素晴らしかった(思い出した。これについては改めて書きたい)。

私は,温泉が好きだ。旅館に着いてダラっとして,温泉に入ってボーっとして,酒を飲んでウダウダするのが好きだ。余白の時間を過ごすのが良いのだ。

 

これらは全て,かつて私が嫌いだったもの,良さがイマイチわからなかったものだ。かつての私が,「大人だけが好きなもの」と思っていたものだ。

親戚が集まる中で知らないオジサンに唆されて一口含んだビールは苦くて不味かったし,修学旅行で観た仏像は得体のしれない古い何かというだけだったし,家族で行った温泉は落ち着かないしお湯は熱いしでサッサとあがりたかった。

 

中学時代,「部活終わりのコレがたまんねえんだよ」などと言って,「お気に入りの温泉」というところに私を連れて行ってくれた友人がいたが,そんな言動も,「くうぅぅ! やっぱりビールは最高だ!」の学部時代の友人たちの発言も,当時の私にとっては「大人ぶっているだけじゃねえか?」と思われるものだった。

その反面,「そうあるべきなのかもしれない」などと考えて,私も少し「大人ぶって」みたりしたものだ。

するといつしか,突っ込みすぎた「オトナ」像から一歩引いて,落ち着いてみられるときがやってくる。それが本当に良いと思えるようになる。「大人ぶる」が「大人びる」に変わるのだ。

 

「へっ,ぶりやがって」と軽蔑していた王道のオトナがやっぱり大人で,私にはまさにそれになってしまった部分もある。

一方,法律上の大人にはとっくになってしまっているにもかかわらず,精神や思考,感覚はまだまだ大人になりきれていない部分もあるのが現実だ。

 

このままこの道を行けば,「フツウノオトナ」になれるのだろうか。

右はオトナで,左もオトナ? では私はどうすれば?

そもそも,オトナってなんだろう。