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ライ麦畑で叫ばせて

日常・回想・妄想・数学理科・社会・思考の道草 を軸に書きます。特に「妄想」は別のところでしっかりカタチにするのが目標です。

汚れを吸ったスポンジは泡が立たない

 

先日,約一年振りにとある小学校にお邪魔した。これはもちろん合法的に。

 

1-2年生,3-4年生,5-6年生と順番に一緒に遊んでもらったのだが,1-2年生はまあ腕白。3-4年生はそれに拍車がかかる。

ところが,5-6年生ともなるともう結構大人っぽかったりする。


私より背が大きくてがっしりとした男子もいれば,小奇麗で身なりや持ち物にも気を遣っていて少しつんとすましているような女っぽいもはや女もちらほらみえるのだ。

でも実際に話してみると男子は完全にまだガキだったり(,というか男はこれからもずっとガキなのだろうが),女子は恥ずかしがりつつ素直に会話してくれたりする。

でもやっぱり思ってしまうのは,「小学校高学年の女子はもはや女性」だ。

「『となりに大人の女がいる』と思うと緊張して仕事にならん」と,現場を共にした後輩も言っていた。

大人びてきて可憐だが,まだあまり社会に対する反抗を知らない。規律正しい小学校という空間で純粋無垢に勉学や諸活動に従事する。

美しき精神と麗しき容姿とを兼ね備えた女性は最強で,良い。

一応断っておくが,小学生がすきだということではないですよ。

大人よ,小学生の純粋さを取り戻せ。 

 

仕事の後には控室として準備された図書室に通していただいた。

 

懐かしかったね。

自分の通った学校じゃないけれど,やっぱり小学校の図書室には小学生が読むような本が沢山あって。

忍たま」,「エルマー」,「ズッコケ」。

気になる女子を追っかけて図書委員になって,本の整理整頓に明け暮れていた六年生の頃を思い出したりもする。

目に映る背表紙ひとつひとつが懐かしく思われる中,なんとなーく手に取ったのは「オズの魔法使い」の絵本だった。

(昔読んだなー,あんまり話覚えてねーけど。)

そう思って偶然開いたページをみて,衝撃を受けた。

首。生首が浮いてるのよ。髭を生やしたおっさんの首が。

え,そんな話でしたっけ?

犬,猿,雉じゃないにしろ,何かしらを仲間にした誰かしらがどうにかなる話だと記憶していたのだが,まず目に飛び込んだ絵が,青白いおっさんの生首。目つきが悪くておっかない。

小学校の図書室に置いていい類の本ですよね?

もう怖くなってしまって,素早く閉じてそっと棚に戻しておきました。

オズの魔法使い」。過去に一度読んだだけで知った気になっていたが,過去の知識は存外霞むものだ。

 

絵本にしろ小説にしろ教科書にしろ論文にしろ,何かを読んでその中にある考えや知識を吸収するということを,我々は意識せずとも毎日のようにやっている訳だ。

 

今月末に自分のこれまでのオベンキョウの成果を発表をしなければならなくて,最近はずっと,一度読んだ書物を再読したり,関連資料を集めて勉強したりしていた。

初めて読んだときは,どうもすっと頭に入ってこなくて,納得ができなくて,この一文には何時間も悩んだな,なんて思い出しながら。

そして,理解までに苦労したものでも,逆に比較的すんなり納得がいったものでも,一度自分の中に吸収してしまったものは,次の瞬間にはもう自分の中の常識になってしまっていることに気づく。

ところが,悲しいことに,それら吸収したはずのものの中には「知識の最終形(数学でいうなら,公式や定理のような実用的なものだろうか)」だけが常識になっているものも案外存在するものだ。

「あれ,これはどうやって吸収したんだったかな?」と結局はじめと同じだけ時間をかけて,同じような思考プロセスを踏むことさえあった。 

人間の脳みそは自分が思っている以上に機転が利いて賢いのかもしれない。その一方で,都合がよくていい加減でもあるのだ。

 

いい加減さと都合のよさには,次の過程で拍車がかかる。

 

(もう,完璧だ…!)なんて思って発表の準備,すなわち吸収した知識や考えのアウトプットに入ってみると,自分の中の「常識」たちに齟齬が生じることがある。

そして,(そんなはずは…)と考えなおして,書物に戻ってまた考えて,別の書物にあたって,とあれこれやって気づくのだ。

「常識」になっていた知識が間違っていることに。

余計なずる賢さが身についてしまって,自分が理解しやすいように勝手にカタチを捻じ曲げて,強引に脳みそに押し込むことが多くなっているようだ。

そんな自分にはもうウンザリしてもしきれない。

牛歩の如き速度でしか進まない準備に焦りを感じながら,満身創痍で臨んだ発表。ひとまず,終わってよかった,と思っておこう。

 

発表の帰り際には親しい友人と会ってきた。

 

知り合いの結婚式か何かで貰ったという皿がいらないというので譲り受けたのだが,箱も何もなくむき出しで鞄にブチ込んできたので,棚にしまう前にさすがに洗っておくか,と帰宅するなり台所へ向かった。

スポンジに水を含ませて,洗剤を垂らしてくしゅくしゅする。

泡立たない。

水を加えてくしゅくしゅするが,ダメ。

そういうときは,水をお湯に変えてスポンジをよく洗い,それからまた洗剤をつけることで対処するようにしている。

調べたことはないけれど,スポンジは油汚れを吸うと泡が立たないのだと思っている。

だから,お湯で油を溶かしてスポンジから追い出してやると良いのだ(,たぶん)。

キレイに洗って並べた皿は,なかなかにお洒落であった。友人に感謝。

 

間違った知識を吸収してしまっては,いざ知識を活用するときにどこかで辻褄が合わなくていけない。

汚れを吸ってしまっては,泡立てようにもそれは叶わない。

 

汚れに気づけば後からきれいにもできるけれど,古い汚れは落ちにくくなるし,繰り返し汚れればスポンジ自体ダメになるもの。

加えて,綺麗なものを吸ったはずなのに,いつの間にかそれが消えたり汚れに変わったりするいい加減さもあるのだから敵わない。

 

小学生とか中学生とか,若くて純粋なうちに,ひとつでも多くの正しい常識を大事に吸っておけばよかったな,なんて,今更思ってももう遅い。