ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

巡る巡るは海のよう

 

負の要素が人を駆動する力というのは甚大だ。

 

成功や幸福なんかのポジティブな事象より,失敗,恐怖,失望などに突き動かされることの方が(少なくとも私は)多い。

 

 私にも,スポーツというものに打ち込み,仲間たちと更なる高みを目指して血と汗と涙を流すという身の毛もよだつ清清しい時代があった。

ああ,あのプレー,あの勝利,あの栄光。

と,思い出せれば良いのだが,蘇るのはミス,敗北,苦痛と負の歴史のオンパレードである。

脳裏にしつこく焼き付くは楽しい過去より辛いそれ。

ひとえに,これは私が競技を成功や勝利で終えたことがないからかもしれないが。

「記憶はいつか妄想に変わる」と誰かが言っていたけれど,それならもう少し楽しい世界がみたい。それまでには,もう少し時間がかかりそうだ。

 

例えば,旅に出るとする。

 

私は,目標の達成のため分刻みのスケジュールをこなすような旅は嫌いだ。行楽を任務にしてはならないと思うのだ。

旅には明確な目的などなくてもよいと思っている。気の合う仲間と行動を共にできればそれでよい。終わり。

それでは話が始まらないので,適当な目的地を設定することにする。そうだな,じゃあ「ダム」だ。

さあ,車に乗っていこう,友達みんなで(乗り込んだ人数は──)。

大きな国道から県道,市道,獣道と車を走らせ三時間。ナビに従い辿り着いた山中は,枯葉ばかりの薄暗い空き地。

ダムがない。人工的な建造物はおろか,ため池も,水溜りすらそこにはないのだ。

そんなとき,私と,隣りのたった一人の友はどうするか。

二人して腕を組み,足元の落ち葉をじっと睨みつける。虫食いの穴が開くほどに。やがて重い首を持ち上げ,難しい顔を向かい合わせるとようやく口を開くのだ。

「ダム,ねえじゃん」,「おいおい,マジかよ」

そういって,笑う。馬鹿みたいに。

車の中ではふざけあっておもしろおかしい話をしても「今のは言い回しがイマイチだ」とか,「落ちが少し弱いな」とか,なかなか笑わないでいるのに。

不幸は人を幸せにする。ニワトリと卵のような話だが,案外そうなのかもしれない。

不幸せで笑うのは,人間のもつ本能的な自己防衛からだと私は思う。

 

旅には失敗がつきものだ。とりわけ,私の場合は。

 

失敗といえば,雨もそうだ。

晴れが良い天気,雨は悪い天気,という言い方は実は一般に推奨されない。

その判断は個々人の立場に寄るからだ。

雨を必要とする人,とりわけ農家の方たちは,私のような今なお原付を乗り回す輩とは異なる基準に違いない。

ひとまず,良い悪いの議論は気象予報士の皆様,究極的には哲学者の皆様にお任せするとしよう。

とにかく,私が野外を観光するとなると,雨が降る。

 

私がアルバイトで塾の講師をしていた頃だ。

 

高校生からこんな質問をもらったことがある。

「地球上の物体は重力加速度で加速されるはずですけど,雨粒は結構上から落ちてくるのに速度はあまりでないですよね?何故ですか?」

この将来有望な大型新人天才科学者に向かってなんと初歩的な質問か。

「えっ,えーっと,,,そうだな。それはきっと,ある程度加速されたら空気抵抗がはたらいて,え,式?それは今はぱっと出てこないけど,,,まあ,ほら,加速されなくなるんだよ,たぶん。じゃなくて絶対,たぶん」

その日のうちに家に帰って調べると,私の苦し紛れの回答はほとんど正しかったと記憶している。空気抵抗と雨粒の変形,分裂やらが関係するんだったかな。

粒径が大きいほど速度も速くなるらしいが,大粒の雨は秒速10 mだそうだ。時速に直すと 36 km,かの有名な陸上選手,ウサイン・ボルトと同じくらいらしい。

気象学のテキストを引っ張り出して調べると,積乱雲の雲底はだいたい600 mくらいのようだ。空気抵抗も変形も分解も無視するために,この高さから質点を自由落下させることを考えると,地上についたころの速度はなんと,秒速108 m,時速390 kmだそうだ。これは相当危険じゃないか?

時速約400 km。皆さんは何を思い浮かべただろうか。バイクや車,新幹線だろうか。

正直,私は具体的には何も思いつかなかった。検索してしてみて「バイク」「車」「新幹線」のワードが出てきたことに驚いた。

そんな中,この速度が自然界で存在しているというから,さらに驚いた。

金星のスーパーローテーションだ。金星上空では,時速400 kmで風が吹き続けているらしい。

地球の対流圏の上(上空13000 m)でも風速は時速250 kmくらいだから,,,てもうよくわからん。

とりあえず,雨が程よい速度で落下してきてくれてよかった。

 

地球上の雲は,通常時速50 kmくらいで流れているらしい。

 

「そんなに速くはみえないよ」

と友人に反発されたことがあるが,「新幹線を遠くからみるとゆっくりにみえるけど,近くで走ってたらめちゃめちゃ速いだろ?」と例えたら納得してくれた。

 

例え話に納得してもらえるのは,うれしい。

「匂いで別の何かがぱっと連想されることってあるじゃん?」

「うーん,俺その感覚がわからんのよ」

「例えば,金木犀の匂いがしたら,秋だなぁ,って思うとかさ」

「それは確かに」

 

はい,うれしい。

 

「ほら,やましいことは無いのに『あんた,浮気してるでしょ』とか疑われると焦るじゃん」

「うーん」

「悪いことはしてないのにパトカーを見ると緊張するのと一緒だよ」

「ああ,なるほど」

 

はい,うれしい。

 

うれしいことばかり書くと,何だか申し訳ない気がしてくる。

俺にこんなにいいことがあってはいけないように思えてくる。

 

本当は,量や回数は平等じゃないにしろ,幸と不幸はどちらも私の足元に巡ってくるのかもしれない。

秒速何 mという速さで循環する陽のあたる海洋表層流は,暗黒の世界を1000年2000年のスケールで巡るような深層流で駆動される。

深くにある負の感情を力にできないと,うすっぺらいが目まぐるしく変化するこの世界では生きていけないのではないか(生きていきたいかは別として)。

 

こうやって,自分の後ろ向きを肯定することをお許しください。

そして,(この文はいったい何処へ向かうんだ…)と不安にさせたことをお許しください。

でもそのほうが,気の遠くなるくらいに暗くて広いこの世を巡る感じが出るでしょう?

 

無事に巡り巡って本題に戻ったのだから,ひとまず,良しとしてください。