ライ麦畑で叫ばせて

日常・数理・旅や触れた作品の留書・思考の道草 などについて書いています。

ひとこと感想集 part 7

 

 今回も早速いきます。ネタバレにはご注意ください!

 

15. 宮本輝『螢川・泥の河』(新潮文庫

『螢川』は芥川賞、『泥の河』は太宰治賞受賞作である。どちらも、主人公は少年。彼らの体験や心の動きが、彼らの目の高さで、真正面から描かれている。

『泥の河』では、主人公の少年が友人と夏祭りに行く場面がある。少し油断した隙に、少年は友人とはぐれてしまう。友人の姿が人影にかすかに見えるものの、体の大きな大人たちが邪魔でそこに辿り着くことができない。そんな焦りの感情や、それとは対照的な祭りの色鮮やかさ、そして汗や化粧の混じる活気に満ちた匂い。それらが無駄のない文章で、美しく表現される。

 私は、この場面をとても懐かく感じた。それは「幼い頃、私も祭りに行ったなあ」と回想したからではなくて、「この文章、読んだことあるなあ」という既読感があったからだ。調べてみると、この場面は国語の入試問題になったことがあるらしい。入試本番で解いた訳ではないだろうが、問題集か何かに載っていたのを、ずっと昔に読んだことがあったのだろう。今でもこうして思い出すということは、当時もこの文章には心動かされたに違いない。

 もう一点、作中の死について。二作とも、主人公に近い関係にある登場人物が、作中で死ぬ。フィクションとはいえ、思い入れのある誰かに死が与えられることに私は抵抗があり、複雑な思いで読んでいた。

 どんな流れかは忘れたが、中学生のとき、全校集会で校長がした話を思い出す。有名な漫画の『タッチ』。そのタイトルが気に食わないと校長は言った。「和也」が死に、「達也」にバトン『タッチ』する。このタイトルには、そんな意味がある。最初から殺すつもりだというのは、漫画であっても許せない! 全校生徒の前で、校長は声を大にして主張した。私は内心「何言ってんだこの人」と思っていたが、今となってはその考えがわからなくもない。

『タッチ』って漫画では「和也」が死ぬんだよ。小さい頃、弟のカズヤ(漢字は違う)にそう言ったことがある。悪意などなく、ただ教えただけのつもりだったが、それを聞いて弟は泣いた。今思えば配慮に欠けていたかもしれない。やはり、空想であっても、死というものは受け入れがたいものである。

 

16. 三田誠広『永遠の放課後』(集英社文庫

 かつて人気歌手だった父をもつ、ギター好きの主人公。彼の友情や、恋や、家族関係などが、飾らず、素朴に描かれている。中でも、たびたびある主人公の素直な独白が印象的だった。それが主人公の考え方や性格、ひいては他の登場人物の人間性や主人公との関係性をみえやすくしている。

 過程や結末に関する記述は避けるが、話の中には「主人公たちにとって良くない方向」に物事が転んでいきそうな気配がいつも漂っているように感じた。その危なっかしさが、読者を話にのめり込ませるのだろう。ちなみに、最後のあたりだけ、話が駆け足に進んで、少々尻切れとんぼのような印象を受けた。

 作品を通して、音楽が重要なテーマとなっている。ああ、俺も学生のときに何か音楽をやっていればよかったな。そう後悔するほど、演奏する彼らは格好良く、魅力に溢れている。青春とはこういうもののことを言うのだろうなと思うと、どこかむず痒くすら感じられる。

 音楽がテーマとなれば、当然、主人公たちが歌唱する場面が何度かあるのだが、この作品には一切「歌詞」は出てこない。それなのに、音楽が、歌が、確かに聞こえてくる気がする。何かが乗り移ったかのような、演者たちの迫力ある歌声やパフォーマンス。そして、それを聴く観衆の熱狂や陶酔。絵を見ただけで音楽が聞こえてくると絶賛された漫画があったが、この本も、文章を読んだだけで音楽が聞こえてくるようだ。この魅力が、私の音楽に対する憧れや嫉妬心を増大させたに違いない。