ライ麦畑で叫ばせて

日常/数理/旅や触れた作品の留書/思考の道草 などについて書いています。

正体見たり

 

皆さんこんにちは。

春ですね。春といえば,桜ですね。

風流ですね。桜。

ここで桜に関する歌を一首。

 

 屋台店 あめかわずなく この声と ついに散りしは 徒桜かな

 

解説をつけます。

屋台の立ち並ぶ道を歩いていると,ぽつぽつと雨が降り出し,何処かで蛙も鳴き始めた。向こうからは屋台で売られる飴を買って貰えずに泣いている子が親に手を引かれてこちらに近づいてくる。その親子と対になるように,桜は雨の影響もあってか,いよいよ儚くも花びらを落とし始める。ああ,このまま散ってしまうのだなあ。

 

どうでしょう,こんな趣深く風情と無常観に満ちた場面に,皆さんも一度は出会ったことがあるのではないでしょうか? 

ちなみに私はありません。妄想で詠みました。

 

 

さて,中学時代の理科の教師に,季節感が4カ月ほどズレたひとがいた。

雪が降り,体育館での集会の際にはボウボウと音を立てる馬鹿デカいストーブを焚く頃には,こんなの全然平気だ,とばかりに夏タイヤ装備の車に乗って白衣姿で颯爽と登場するくせに,雪解けの春先になると,危ねえ危ねえ,と冬タイヤに履き替えて,サッカーの控え選手のようなロングダウンコートを着てブルブル震えていた。

 

この教師にとって,この4カ月の季節感のズレは,事故や病気について多少の危険性はあるかもしれないが,彼の人生観や価値観の崩壊を脅かすものでは決してないだろう(大変な事故も考えられるので,タイヤはきちんと替えるべし)。

事実,季節外れの服装を彼は全く気にしていなかった。

 

 

 

(──時間情報のズレを修正しています)

 

 

皆さんこんにちは。

夏ですね。夏といえば,怪談ですね。

怖いですね,怪談。

ここで,こわーい系の歌を一首。

 

 おづおづと 丙夜(へいや)を開くる 窓の狭間(さま) 睨む赤目の 月をばみたり

 

解説をつけます。

ためらいがちに少しだけ開いた窓の隙間から丙夜(午後11時から午前2時くらい)をみることができる。その隙間から誰かに睨まれているような気がして,おそるおそる覗き込むと,真っ赤な目に見えたのは実は満月であった。

 

こんな背筋の凍るような勘違い体験,皆さんも一度はあるのではないでしょうか?

ちなみに私はありません。そんな怪しく疑わしいことがあったら絶対確認なんかしません。怖いから。

 

 

さて,ズレの話に戻ろう。

先の教師のように,季節感がズレるということは私自身おそらくない。

だが,趣味嗜好やセンス,考え方について,何だか自分は周りとズレているのではと不安になってしまうことは結構多い。

でも,それはただの取り越し苦労で,実はそんなにズレていないということがほとんどなのかもしれない。

もしくは,仮にズレていたとしても,そのズレは全く悪いことではないという場合もあろう。

さらにいうと,そのズレこそがむしろ貴重で重要な思想の種であり,大切にすべきものであるという可能性すらある。

 

最後に一句引用して,この記事の結びとする。

「疑心暗鬼で物事をみると,悪いほうに想像が膨らんで,心配しなくても良いことをおそれるようになる」という意味のとあることわざのもとになったと言われる句である。

 

 化物の 正体見たり 枯れ尾花 (『鶉衣』横井也有

 

 

皆さんこんにちは。

秋ですね。秋といえば,尾花ですね。