2015年11月11日。
フランスはブルターニュ地方の港町,ブレストの海沿いに私は立っていた。
曇天になびく白と黒の旗と,それをじっと眺める老婆。
真実と妄想の英雄譚が,ここから始まった──。
昨年,フランスの研究機関に出張する機会があって,このブレストに1週間程滞在した。
研究所まではホテルから路面電車とバスを乗り継いで1時間くらいだったろうか。
平日は仕事の相談や議論をするために,観光などする間もなく毎日せっせとこの道を往復した,といいたかったのだが,幸運…,もとい,残念ながらそうはならなかった。
出張のちょうど中日にあたる11月11日は,フランスでは第一次世界大戦の「休戦記念日」なる休日で,研究所もこの日は全日閉館だったのだ。
前日の帰り際に「あれ,明日は休日なの知ってるよね?」みたいなことを現地の研究者に言われるまで,私はこの休日を全く知らなかったので,観光の情報やプランなどは全く無かった。
前日にホテルへ戻ってインターネットであれこれ調べたが,フランスの端の港町,あまり目を引く観光スポットはないようだった,というか,この町に関する情報自体が少なかった。
(明日は適当に散歩でもして,あとはホテルで休んでるか…)
半ば諦めつつ,夕食を食べに近くのレストランに行くと,そこにはフリーの観光マップがあった。
ブレスト城──。
海沿いにある城で,かつて軍事要塞として活躍した建造物らしい。現在は博物館になっていて,どうやら休日も開いているようだ。
ホテルから歩いて30分くらいじゃないか。
もう一つのオススメである水族館は車がないと厳しいみたいだ。
開館は午後からとゆったりのようなので,午前中は街を散策して,その後はここに行ってみよう。
そして,次の日。
あいにくの曇り空だが,傘は必要なさそうだった。
外に出ると,街では警官なのか何なのか,兵士のような恰好をした人々がラッパや太鼓の音に合わせて行進する姿が見られた。
兵士に扮した人々はステージに整列,誰かのスピーチが始まり,そして,黙祷。
その雰囲気から,追悼の式典だろうと思われた。
暫く式典の様子を眺めてから,時間を見て,港の方へ向かう。
目標の城までは石畳の緩やかな下り坂が続いていた。
隣を路面電車が通り過ぎる。
開いている店はまばらで,人通りは少ない。
私が想像する,ヨーロッパの片田舎の休日を,私はまさに歩いていた。
やがて,海が見えてくる。
海沿いの細長い公園をしばらく行くと,ついにめあての城が現れた。
石造りの立派な建物だが,私の印象は「城」というより「砦」だった。
そして私は,そのてっぺんに見たことのない旗をみつける。
白と黒で色使いはシンプルだが,格好良いデザインだと思った。
ここは海沿い。不規則で強い風の吹く中,何度か撮影に挑戦したが,一番良く撮れたのが,これだろうか。
わかりにくいので,拾った画像をひとつ。
カメラを片手に城の前で暫く風と格闘していると,突然,一人の老婆が私に寄ってきた。
カメラの有無の違いはあるが,私と同じようにその老婆も旗を眺めていたのは認識していた。
「ウニャニャニャニャー?」
老婆が私に話しかけてきた。フランス語だろうか。
全く分からないので,英語で申し訳なく思いつつ返した。
「Sorry...」
老婆は,「Oh…」といって少し間を置くと,英語で私に訊いてきた。
「観光者の方ですか」
というようなことを。
私は,「はい」と答えた。
すると,老婆はゆっくりと,慣れない英語で,考えながら,一生懸命に,語ってくれたのだ。
以下の日本語は,私が聞き取ることができて,記憶に残っている限りの老婆の言葉である。
帰国後に興味をもって調べたこともあり,もしかしたら記憶が妄想に変わっている部分もあるかもしれないことは,ご了承いただきたい。
”この旗は,ブルターニュの旗なの。
白と黒の横線は昔の州の数を表しているのよ。
そして,左上のシンボルは,えーと,ごめんなさい,英語がわからないわ。
動物を表しているの。
夏は茶色い毛で覆われているんだけど,冬になると真っ白になるのよ。
でも,しっぽの先は黒いまま。それをシンボルは示している。
そして,この動物は,勇敢なものの象徴なの。
決して逃げない。私達は戦うのよ。
フランスの国旗はご存知でしょう?
あれは,フランスの国旗であって,私達の国旗じゃない。
ブルターニュは,フランスに支配されたの。
でも,私達は今でもこの旗を誇りに思っている。
あなたはこの旗が好き?そう,良かったわ。
この街の人たちも皆,この旗が好きよ。”
返って調べた情報によると,旗の名はグウェン・ハ・デュ(Gwenn ha Du),ブルトン語という現地の言葉で「白と黒」を意味するそうだ。
横線は厳密には司教区の数を示していた。
そして,シンボルが示す動物の日本名は,オコジョ,あるいは白テンであった。
700年にわたりブルトン人が治めていた「ブルターニュ公国」は,1532年にフランス王国に統合され,それからフランスの一地方となってしまったらしい。
しかしながら,統合から500年近く経った現在でも,ブルターニュの人々の強い民族意識と誇りの高さはよく知られているようだ。
ところで,なぜ,オコジョ?
そう思ってもう少し調べると,もとは,ブルターニュ公国の紋章にオコジョが使われていたことによるという。
「汚れるよりはむしろ死」
ブルターニュ公爵のポリシーだというこの言葉も,オコジョにまつわるお話から生まれていた。
「ある日,公妃が領地を歩き回っていたとき,偶然にもオコジョを追いかける男たちに出くわした。男たちに追われ,泥沼のふちに追い詰められたオコジョは,この泥沼を渡りながら真っ白な毛皮を汚すよりも,正面から立ち向かおうと,男たちに対峙した」
というものだ。
公妃はその姿に魅力を感じ,紋章にそれを描き,公爵はそれをポリシーにした,らしい。
ふむ…。
この話を知ったとき,美しさと潔さを感じる一方,何とも言えない,疑念の類の感情が頭の中を支配した。
そしてまた,妄想が始まってしまう。
ある森に,ヴァンスというオコジョの少年がいた。
冬の良く晴れた日,彼が雪道を歩いていると,物知りの老オコジョ,ボイヤーと出会った。
「やぁ,ヴァンス。散歩かい」
「はい。今日は天気がいいので」
ボイヤーの質問に,ヴァンスはハキハキと答えた。
「そうかい,それはいいことだ。でも,ヴァンス,この森には最近,『フタアシ』がでるらしいから気を付けるんだよ」
「『フタアシ』,ああ,二本足で歩く毛のない動物のことですね。大丈夫です。僕は我々『チャシロ』の中でも特別,逃げ足が速いんですよ」
人間が勝手にオコジョを「オコジョ」と名付け,自分たちを「ニンゲン」と呼ぶように,彼らの世界では人間は「フタアシ」で,自分たちは「チャシロ」であった。
「そうだ,ボイヤーさん。今日も何か面白い話を聴かせてくれませんか?」
「ああ,いいだろう。じゃあ今日は,『フタアシ』の世界の英雄譚を聞かせてやろう。ある森に,『オコジョ』という動物がいてな。あるとき,『ニンゲン』という敵の動物に一匹の『オコジョ』が―」
ボイヤーは,「オコジョ」が自分たちのことであるとは知らずに「あのお話」を語り,ヴァンスもまた,それを自分たちの話とは知らずに聴いた。
「へぇ,逃げずにわざわざ死んでしまうなんて,僕はしないだろうな。でもまあ,カッコいい英雄の話だったよ。ありがとう,ボイヤーさん」
(ガサガサ…)
ボイヤーと別れて一人散歩をしていたヴァンスは,怪しい物音に気付く。
近い,もう遅いか。でも,逃げなければ。
ボイヤーは一心不乱に走った。
しかし,複数の足音はどんなに走っても遠ざかることはない。
(くそっ…!)
ヴァンスが辿り着いたのは,大きな泥沼だった。
後ろを振り向くと,追ってきたのは「フタアシ」だった。
(何てこった。出来ることならこの泥沼を渡って逃げたいけど──,僕は,逃げ足には自信があるけど,泳げないんだ。この沼に入ったら確実に死んじゃうよ)
ヴァンスは,苦渋の決断をした。
「フタアシ」と対峙して,逃げられる奇跡を待つほかなかった。
妄想終わり。
これくらいのほうが泥臭さがあってしっくりくるな。
英雄譚を英雄が聞いて,自分のことだとわからないことだってあるだろう。
あ,ブレスト城の中の博物館は船の模型や大砲などなどが飾られていて,これまたとても素晴らしかった。
そして,お婆さんのおかげであの旗が大好きになったので,マグネットを買ってきてしまった。
いつも目につくところに置いて,ときどきボーっと眺めている。
最後に,この文章のタイトルは,またまたアニメ「ルパン三世」の第2シリーズ第30話,「モロッコの風は熱く」を参考にさせていただいた。
ブルターニュの力強く,誇り高い風が,このタイトルをみて連想されたのがきっかけだ。
ルパン三世のタイトルはカッコいいものが多くて,タイトルから書く内容が連想されるのが,なんか面白い。